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アルゼ
聞いたことある会社ですよ。
アルゼは、パチンコ機やパチスロ機、ゲームソフトなどの製造メーカー。会長は岡田和生(おかだ・かずお 1942年 - )、社長は余語邦彦(よご・くにひこ)(2008年1月現在)。
パチスロ機の大手メーカーである。メーシー、ミズホ、エレコといったパチスロ機種も「アルゼブランド」として認識されている。また、エンターテイメント業界自体にも強みを持ち、映画・格闘技などのイベント主催・協賛などを数多く行う。
かつては、アミューズメント・ゲームなど幅広い分野で開発競争に参加していたが、2007年にゲーム事業から撤退し、開発中のタイトルはすべて開発が打ち切られた。多数のゲームメーカーを買収し、またのれん分けの形で複数のゲームメーカーを設立したが、そのすべてが倒産あるいはゲーム事業撤退という形に終わっている。さらに、ゲームセンター運営のアドアーズとの資本関係を解消し、アドアーズはアルゼグループから離脱した。
社名由来は「何でもあるぜ」ということから。イメージキャラクターは「あるぜ君」。
警察との結びつきが強く、2002年には前田健治元警視総監を常勤顧問に迎えた。
2006年1月18日、阿南一成社長(当時)が、構造計算書偽造問題(いわゆるマンション対震偽装事件)のヒューザー社長(当時)小嶋進に対する証人尋問で、参議院議員時代に小嶋より会費を受け取り、相談していた政治家の一人として名が挙がった。これを受け臨時取締役会が開かれ、阿南から辞意の申し出があったため、同社会長の岡田和生が社長を兼務することになった。
2007年10月に会社分割により持株会社に移行し、パチンコ・パチスロの開発部門を「株式会社セブンワークス」、同販売部門を「アルゼマーケティングジャパン株式会社」として分割した。アルゼ本体は事業持株会社として、特許・不動産等の管理や基礎研究、パチンコ・パチスロ台の製造等に特化した形で存続する。
ワンマン経営が災いしてやることなすことことごとく裏目に出、また非常にずさんな人材登用を行う(買収した子会社のスタッフのうち、自社事業に必要としない部門のスタッフを営業に回したり、営業社員の無条件雇用→大量解雇を繰り返すなど)ことから、社員の定着率が非常に低いといわれている。特にゲームクリエイターの離脱が激しく、80年代前半の代表作を作っていたスタッフが一斉にテーカン(現テクモ)に移籍してしまったり、セタ・SNK・シグマといった買収したゲームメーカーから転籍させたスタッフも大半が早期離脱したり、転籍を拒否して退社してしまいサミー傘下(当時)のディンプスなどに流れたりしている。パチスロ開発においても人材流出が日常的であり、それまで開発ノウハウのない新規参入メーカーへの技術流出の原因ともなっている。
1967年 岡田がジュークボックスにかかわる業務を始める。
1969年 栃木県小山市にユニバーサルリース(株)設立 ※公式の創業年
1967年 (株)ユニバーサルに社名変更 ※公式の設立年
1973年 (株)ユニバーサルの販売部門がユニバーサル技研(株)として分離
1975年 ユニバーサル技研(株)をユニバーサル販売(株)に社名変更
1979年 (株)ユニバーサルの開発部門がユニバーサルテクノス(株)として分離
同社はジュークボックス→コイン投入式遊戯機械→アーケードゲームという流れで参入した。創業当時のアーケードゲーム史に残る有名なゲームは、主に以下の通り。
「スクラッチ」:ブロックくずしのコピーゲームで、同社のデビュー作。
「サーカス・サーカス」:サーカスのコピーゲーム。
「コスミックモンスター」:スペースインベーダーのコピーゲーム。
「ギャラクシーウォーズ」:同社初のオリジナルゲームで、基板は「コスミックモンスター」の流用。このゲームは前述のインベーダーにおける著作権がらみでタイトーと裁判になった際、和解に伴う見返りとして、タイトーにもライセンス生産されている。
ファミコン登場時は参入もささやかれたが、結局実現する事なく、1987年の「スーパーピエロ」が最後のビデオゲームとなった。
1993年 (株)ユニバーサルを吸収
1998年 ユニバーサルテクノス(株)がユニバーサル販売(株)吸収、アルゼ(株)に社名変更。JASDAQ公開。
ユニバーサル販売時代から、メーシー販売、瑞穂製作所(現在のミズホの前身。ただし法人格は継承されていない)を系列に置き、3社でひとつのユニバーサル系を構成していた。4.0号機時代には新規参入したエレクトロコインジャパン(ECJ、現在のエレコの前身。ただし法人格は継承されていない)とも提携したが、同社はイギリスのエレクトロコイン社の日本法人であり、アルゼの直接の系列会社ではなかった。のちにECJはアルゼの系列に入り、2000年にアルゼは瑞穂製作所とECJを吸収合併し、新たに100%子会社のミズホとエレコを設立した。現在はアルゼ、メーシー販売、ミズホ、エレコの4社がアルゼ系となってアルゼブランドの台を販売している。
4.0号機時代は様々な機種の大ヒットにより、当時の最多シェアを誇った。
しかし、かつては業界リーダーとしての立場にあったが、同業他社に対して勝ち目のない訴訟を乱発した頃からその地位が揺らぎ、現在では法人格の不継承と届出を怠ったという理由によりミズホおよびエレコが日本電動式遊技機工業協同組合(日電協)の組合員登録を除名される、またアルゼ自身も回胴式遊技機商業協同組合(回胴遊商)の組合員登録を除名されるなど、業界では爪弾きに近い存在となっている。パチンコ・パチスロメーカーのサイトでは、慣例として同業他社サイトへのリンクが設けられていることが多いが、その中でアルゼへのリンクを設けないメーカーが多いことからも業界内での立場が伺える。
爆裂機騒動時に注目を集めたスロット機「ミリオンゴッド」の代替機として導入された「ゴールドX」においては、プログラム上バグにて攻略され、ホールから撤収する事態となったこともあるなど、0、1、2、3、4号機のすべてで壊滅的な攻略を受けた機種を輩出しており、ホールからの信頼も低く、「回胴遊商」への非加盟を理由に門前払いにするホールもあるぐらいである。「ゴールドX」のバグ騒動を巡っては、パチンコホールの業界団体である全日本遊技事業協同組合連合会(全日遊連)が中心となり「アルゼ(株)に対し責任を追及する会」を結成してアルゼに損害賠償を求める訴訟を起こし、既に関東・中国地方での訴訟では一審でアルゼに損害賠償の支払いを命ずる判決が下っている[1]。
台の販売時の契約を巡るトラブルも多く、5号機時代に入ってからも、従来より格安なパチスロ機のレンタルプランなどを発表するものの[2][3]、ホールとの契約締結後に多くのホールで何らかの不当契約行為があったことが明らかになっており[4]、ホールとの間での新たなトラブルの火種となっている。
パチスロ業界での高いシェアを背景にパチンコ機にも進出しているが、2004年に発売された業界初の全面液晶パチンコ機「CR雀帝倶楽部」においては、事前に代金を回収した上で、納期3日前になってホールへの納期遅延を通告する等のトラブルがあった。これらも影響してシェアは低迷し、2005年の「CRシンドバッドアドベンチャー」を最後に一時新機種のリリースが途絶えていた。2007年の「CRサンダーV」より新機種の発売を再開しているが、パチンコ機の開発・販売では苦戦を強いられているのが現状である。
パチンコメーカーだったのね。
アルゼは、パチンコ機やパチスロ機、ゲームソフトなどの製造メーカー。会長は岡田和生(おかだ・かずお 1942年 - )、社長は余語邦彦(よご・くにひこ)(2008年1月現在)。
パチスロ機の大手メーカーである。メーシー、ミズホ、エレコといったパチスロ機種も「アルゼブランド」として認識されている。また、エンターテイメント業界自体にも強みを持ち、映画・格闘技などのイベント主催・協賛などを数多く行う。
かつては、アミューズメント・ゲームなど幅広い分野で開発競争に参加していたが、2007年にゲーム事業から撤退し、開発中のタイトルはすべて開発が打ち切られた。多数のゲームメーカーを買収し、またのれん分けの形で複数のゲームメーカーを設立したが、そのすべてが倒産あるいはゲーム事業撤退という形に終わっている。さらに、ゲームセンター運営のアドアーズとの資本関係を解消し、アドアーズはアルゼグループから離脱した。
社名由来は「何でもあるぜ」ということから。イメージキャラクターは「あるぜ君」。
警察との結びつきが強く、2002年には前田健治元警視総監を常勤顧問に迎えた。
2006年1月18日、阿南一成社長(当時)が、構造計算書偽造問題(いわゆるマンション対震偽装事件)のヒューザー社長(当時)小嶋進に対する証人尋問で、参議院議員時代に小嶋より会費を受け取り、相談していた政治家の一人として名が挙がった。これを受け臨時取締役会が開かれ、阿南から辞意の申し出があったため、同社会長の岡田和生が社長を兼務することになった。
2007年10月に会社分割により持株会社に移行し、パチンコ・パチスロの開発部門を「株式会社セブンワークス」、同販売部門を「アルゼマーケティングジャパン株式会社」として分割した。アルゼ本体は事業持株会社として、特許・不動産等の管理や基礎研究、パチンコ・パチスロ台の製造等に特化した形で存続する。
ワンマン経営が災いしてやることなすことことごとく裏目に出、また非常にずさんな人材登用を行う(買収した子会社のスタッフのうち、自社事業に必要としない部門のスタッフを営業に回したり、営業社員の無条件雇用→大量解雇を繰り返すなど)ことから、社員の定着率が非常に低いといわれている。特にゲームクリエイターの離脱が激しく、80年代前半の代表作を作っていたスタッフが一斉にテーカン(現テクモ)に移籍してしまったり、セタ・SNK・シグマといった買収したゲームメーカーから転籍させたスタッフも大半が早期離脱したり、転籍を拒否して退社してしまいサミー傘下(当時)のディンプスなどに流れたりしている。パチスロ開発においても人材流出が日常的であり、それまで開発ノウハウのない新規参入メーカーへの技術流出の原因ともなっている。
1967年 岡田がジュークボックスにかかわる業務を始める。
1969年 栃木県小山市にユニバーサルリース(株)設立 ※公式の創業年
1967年 (株)ユニバーサルに社名変更 ※公式の設立年
1973年 (株)ユニバーサルの販売部門がユニバーサル技研(株)として分離
1975年 ユニバーサル技研(株)をユニバーサル販売(株)に社名変更
1979年 (株)ユニバーサルの開発部門がユニバーサルテクノス(株)として分離
同社はジュークボックス→コイン投入式遊戯機械→アーケードゲームという流れで参入した。創業当時のアーケードゲーム史に残る有名なゲームは、主に以下の通り。
「スクラッチ」:ブロックくずしのコピーゲームで、同社のデビュー作。
「サーカス・サーカス」:サーカスのコピーゲーム。
「コスミックモンスター」:スペースインベーダーのコピーゲーム。
「ギャラクシーウォーズ」:同社初のオリジナルゲームで、基板は「コスミックモンスター」の流用。このゲームは前述のインベーダーにおける著作権がらみでタイトーと裁判になった際、和解に伴う見返りとして、タイトーにもライセンス生産されている。
ファミコン登場時は参入もささやかれたが、結局実現する事なく、1987年の「スーパーピエロ」が最後のビデオゲームとなった。
1993年 (株)ユニバーサルを吸収
1998年 ユニバーサルテクノス(株)がユニバーサル販売(株)吸収、アルゼ(株)に社名変更。JASDAQ公開。
ユニバーサル販売時代から、メーシー販売、瑞穂製作所(現在のミズホの前身。ただし法人格は継承されていない)を系列に置き、3社でひとつのユニバーサル系を構成していた。4.0号機時代には新規参入したエレクトロコインジャパン(ECJ、現在のエレコの前身。ただし法人格は継承されていない)とも提携したが、同社はイギリスのエレクトロコイン社の日本法人であり、アルゼの直接の系列会社ではなかった。のちにECJはアルゼの系列に入り、2000年にアルゼは瑞穂製作所とECJを吸収合併し、新たに100%子会社のミズホとエレコを設立した。現在はアルゼ、メーシー販売、ミズホ、エレコの4社がアルゼ系となってアルゼブランドの台を販売している。
4.0号機時代は様々な機種の大ヒットにより、当時の最多シェアを誇った。
しかし、かつては業界リーダーとしての立場にあったが、同業他社に対して勝ち目のない訴訟を乱発した頃からその地位が揺らぎ、現在では法人格の不継承と届出を怠ったという理由によりミズホおよびエレコが日本電動式遊技機工業協同組合(日電協)の組合員登録を除名される、またアルゼ自身も回胴式遊技機商業協同組合(回胴遊商)の組合員登録を除名されるなど、業界では爪弾きに近い存在となっている。パチンコ・パチスロメーカーのサイトでは、慣例として同業他社サイトへのリンクが設けられていることが多いが、その中でアルゼへのリンクを設けないメーカーが多いことからも業界内での立場が伺える。
爆裂機騒動時に注目を集めたスロット機「ミリオンゴッド」の代替機として導入された「ゴールドX」においては、プログラム上バグにて攻略され、ホールから撤収する事態となったこともあるなど、0、1、2、3、4号機のすべてで壊滅的な攻略を受けた機種を輩出しており、ホールからの信頼も低く、「回胴遊商」への非加盟を理由に門前払いにするホールもあるぐらいである。「ゴールドX」のバグ騒動を巡っては、パチンコホールの業界団体である全日本遊技事業協同組合連合会(全日遊連)が中心となり「アルゼ(株)に対し責任を追及する会」を結成してアルゼに損害賠償を求める訴訟を起こし、既に関東・中国地方での訴訟では一審でアルゼに損害賠償の支払いを命ずる判決が下っている[1]。
台の販売時の契約を巡るトラブルも多く、5号機時代に入ってからも、従来より格安なパチスロ機のレンタルプランなどを発表するものの[2][3]、ホールとの契約締結後に多くのホールで何らかの不当契約行為があったことが明らかになっており[4]、ホールとの間での新たなトラブルの火種となっている。
パチスロ業界での高いシェアを背景にパチンコ機にも進出しているが、2004年に発売された業界初の全面液晶パチンコ機「CR雀帝倶楽部」においては、事前に代金を回収した上で、納期3日前になってホールへの納期遅延を通告する等のトラブルがあった。これらも影響してシェアは低迷し、2005年の「CRシンドバッドアドベンチャー」を最後に一時新機種のリリースが途絶えていた。2007年の「CRサンダーV」より新機種の発売を再開しているが、パチンコ機の開発・販売では苦戦を強いられているのが現状である。
パチンコメーカーだったのね。
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